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アメリカ先住民

Going my way!!!彼らを意識したのは1991年湾岸戦争後の3月。アメリカ東海岸主要都市を旅した時。

ワシントンのスミソニアン博物館で見た彼らの装飾品と生活用具、そして古い白黒の写真の中に立つ凛とした彼らの姿。 全てが素敵で心引かれた。野性的でやさしいその眼も好きだ。しかしその展示したものがずっと昔の話のように説明されていて、 彼らは過去のものとなっていたし、実際その展示を見る僕も「昔この地にインディアンが住んでいたのか」と過去形にしてしまっていた。しかし、帰国してからも あのスミソニアンで出会ったインディアンが忘れられずにいたのだった。

それから暫くして1994年月刊誌「人間家族」を手にする。その中にセイクレットラン95平和のランニングの知らせがあった。 ネイティブアメリカンデニスバンクスが提唱するネイティブアメリカン伝統の祈りのランニング。インディアンが日本に来る。是非会ってみたい。 彼らが今年の夏平和を訴えに日本に来るのだ。現代にアメリカ先住民は生きていた。アメリカ政府の政策で過去のものとされていたインディアンは しっかりアメリカ大陸で生きていたのだ。 そうしてデニスバンクスと出会い自分の中にある先住民性や人として大切な事柄を学んでいった。 高度成長で失った日本の良さを彼らから学びだそう。そのままの日本人で良いのだということ、 もっと自分自身の中にある日本的感覚に目を向ける事など。そして 彼らには長い間培ってきた知恵と民族としての誇りがあったし、才能豊かで全てのものの存在意義がわかっていた。

アァ〜…しかし、付き合えば付き合うほど人間として自分があまりにも無知であることを思い知らされ、暫くは自分自身に対する自信が悉く崩れ去った時期でもあった。 しかし体験したあらゆることは、少しづつ形になり日常生活や彫刻表現の端はしに現れ始め、 インディアン平和運動に関わることによって、私達日本における問題を知ることにもなった。 私達日本人が持つアイヌ人問題、在日韓国人問題、実はこの日常に山積みにされていた数々。出会いがあり別れがありその都度学びがあった。 相手を認め共生していこうという思い。小さな頃自然の中から学んだであろう語句は95年夏、僕はデニスバンクスによって少しづつ思い出したのであった。 そして1999年はアメリカアリゾナ州ナバホ族の開く神聖なる儀式サンダンスの一部始終をこの目で見、そして同じ空気を吸ったのでした。 強烈な祈りのパワーの塊がその儀式を取り巻き全身で受け止める感動を僕はひたすら心に焼き付けたのでした。

リザベーション(居留地)。ほとんど始めて聞く言葉で意味が分からないでいたのだが、ナホバ族のリザベーションを 案内され僕は驚いた。 砂漠の中に点在する小さな街、スーパーマーケット・ガソリンスタンド・ファーストフードレストラン。 どこにでもある風景。しかし立ち寄った店の中へ入って全てが分かった。 うつろな目をした子ども達、大人達、油でベトベトの揚げ物、山と詰まれたたくさんの飲料や甘いお菓子。 仕事がない人達は、アメリカ政府からフードチケットなる食品券が配給される。 しかし限られた店でしか使えない仕組みで店に並んだそれらの食品は決して安全で身体に良いものとは思えない。 粗悪な食品、完全に食べ物をコントロールされている。 アルコール中毒、肥満からくる成人病、そして自殺と彼らはアメリカ大陸から消え去るように仕組まれている。 もちろん伝統的な生活を守ろうとしている伝統派もいることはいるが、 小さい頃からアメリカ政府の洗脳によって若者達自身がインディアンである事を拒否しようとしている様だ。

む〜…ナイスショット!!今に地上からインディアンが消えて無くなると悲しむ老人達。神聖なサンダンスとは裏腹なリザベーション内のインディアン生活。 だからこそ伝統を守ろうとする人達は命がけなのだ。この旅は10日間の砂漠地帯での小さなテント暮らしであった。 僕は見渡す限り何もない大地から繰り返し訪れる天空のダイナミックなドラマを体験した。 太陽は日の出の瞬間から人間を焼き尽くすほどのパワーを放ち、稲妻は大地をひっくり返すほどのエネルギーだった。 静まり返る夜空は、見つめていると吸い込まれるほどの黒い力を持っていた。 そんな過酷な条件の土地で彼らは羊を飼いわずかな水で豆やコーンを育て生活していた。 現代の僕から見ればサバイバルそのもの。しかし彼らの心にはこの大自然が育てた生きる力が備わっていた。

そのダイナミックな環境に居ながらも、彼らは静かにゆっくり語りだす。人を慈しみ、一言一言をかみ締めて。 そんな素敵な人達が、その土地で今日も生きている。 僕達が当の昔に忘れ去ってしまった自然感。太平洋を挟んだアメリカで僕達は民族という考え方を改めて問い直した。 1995年から今日に至るまでインディアンの友人がたくさん出来た。 そしてチーフといわれるリーダー達とも出会うことが出来た。デニスバンクスは僕に儀式で使われるパイプを作ることを許してくれた。 ナホバ族のチーフ・ノーマンはイーグルレットホースというインディアンネームを授けてくれた。 2人とも僕を含む日本人にとても期待しているのだ。

黄色い兄弟といわれる僕達日本人は、内に秘めた聖なる魂をひとつひとつ活動の中で形にしていかなければならないのだろう。 7世紀先の子ども達へと彼らは常に次世代のことを考えて行動する。 判断基準は200年先にその結果がどう影響するのかなのだ。僕はこの言葉を信じ、七世代先を見つめて行動する。